タイピング日記

第7回毎日パソコン入力コンクール決勝では破滅的・屈辱的・歴史的・屈辱的惨敗。

これをもって、タイピング日記を終了する。


2007.11.28(Wed)

毎パソ惨敗報告と、タイピング日記の終了

毎パソ決勝に関しては、
公式サイトここで晒されている通り。スコアは2508文字6ミス、得点2502だとよ。過去の毎パソ決勝における自己記録と比較しても最低最悪のスコアであり、優勝したたにごんとは1000点近い大差だった。1分ごとの文字数は533-504-474-544-458。合計2513ってことは余字5、誤字1とかだろうか。順位も今まで1位と2位しか取ったことがなかったのに、今回は「4位」。傲慢と取られるかもしれないが、今回はたにごんに敗れることはあっても2位は余裕で確保できると考えていた。しかし、そこに落とし穴があった。

全国4位と言えば聞こえはいいが、筆者にとっては

史上最悪の、破滅的・屈辱的・歴史的・衝撃的惨敗

だ。枕詞をいくら並べても足りないほどの、低劣な結果である。一度でもトップを極めた者としてこれ以上ない醜態を全国に晒したことについては、忸怩たる思いがある。たにごん戦というロマンチシズムに自己陶酔するあまり、引き際を誤った。悔やんでも悔やみきれない、痛恨の大失態だ。

●タイピング日記の終了

この惨敗をもって、タイピング日記を終了する。この日記が曲がりなりにも8年近く続いてきたのは、いろいろな種目や資格に挑戦し、少しずつでも確実に進歩を実感できていたためだ。しかし今回の惨敗は正直堪えた。自分のすべてとは言わないまでも大きなものを失い、モチベーションも急落した。このような状況でネガティヴ思考に満ち満ちた日記を書き続けても、百害あって一利なし。自分が読んでも他人が読んでも全く益をもたらさない。

全日本タイピスト連合交流会とmixi日記内で「タイピング日記の終了」を宣言し、かつ23日帰宅後にこの日記を「終了。」の3文字に替えて以来、いろいろな方から再開希望とのメッセージを頂いた。一方、どっかの匿名掲示板では「二度と戻ってくるな」という類の誹謗中傷もあった。こうした反応を知った上で様々な角度から検討を重ねた結果、やはりここで終了すべきとの結論に達した。

タイピング日記を書き始めたきっかけは、1999.12.15に渋谷GIGOでロケテ中だったTODでクリアまでに16コインを消費するという屈辱的惨敗を喫したことだった。惨敗に始まり惨敗で終わるというのも、ある意味自分らしいと思う。

……

最後に、今後のタイピング方針について少し述べておく。まず毎パソ英文に全日本タイピスト連合の一員として参戦することは、二度とないだろう。和文や数字には参戦するかもしれないが、それに向けた練習状況や結果を日記に書き殴ることはない。TWや美佳、TOD等については今後も気分転換程度に打つこともあるだろうが、それを日記にすることももはやない。但し、今までの日記はしばらくの間過去ログとして残しておく。

筆者などよりも若く実力ある人たちは世の中にたくさんいる。今後は彼(女)らにタイピング界を牽引していって欲しい。


2007.11.23(Fri)

第7回毎日パソコン入力コンクール決勝大会

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終了。すべては終わった。

本番に弱すぎ。実力がカスすぎ。俺はここまで弱小な雑魚だったのか。昨年までの結果はすべて幻想に過ぎなかったのか。それとも、ここ1年で急速に退化と老化が進んだのか。

まさに、死んでいるとしか思えない劣悪な実技であった。最初から最後まで、ひたすらBSを連打していた。BS回数は軽く3桁に達しただろう。焦れば焦るほどミスが増加し、心拍数上昇につながるという悪循環が5分間ずっと続いた。悪戦苦闘しつつようやく2ページ目に入った時には、既に4分が経過していた。ラスト5秒では戦意を喪失し、タラタラ打って終了した。

終了直後の感触は「2200文字程度、かつ1行すっ飛ばし」。鬱すぎて死にたくなるような惨敗だった。こんな結果が全国に晒されるくらいなら、マジでCtrl+Alt+Deleteでもぶっ叩いて失格した方がマシだった。控え室に戻った時の「会心の一撃!」宣言は、ブラフというよりもむしろ自暴自棄だった。あの場で惨敗を嘆いて悔し涙を流すが如き行為は、周囲に悪影響を与えるだけで、何ら益をもたらさない。

……

夕方に行われた全日本タイピスト連合の交流会では、次の3点を宣言した。

・英文部門からは引退すること
・全タ連の英文エースの座はへじに譲ること
・タイピング日記は終了させること

実力で敗れた以上、英文エースは務まらない。全日本タイピスト連合の名を辱めることにもなりかねない。タイピング日記に関しても、これ以上継続する意義を見出せない。終了宣言は日を改めて行う。

交流会終了後はとっとと帰宅した。名目は「DS版DQ4をやるため」だったが、実際にはとりあえず一人になりたかった。帰宅後も惨敗のショックが大きく、結局DS版DQ4には手をつけなかった。筆者にとって、今回の惨敗はそれほどまでにあり得ないレベルだった。


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