ヤリオフ(槍ヶ岳〜大喰岳〜中岳〜南岳)



●概要

・新穂高温泉発着のルート
・7人パーティ(ぽかたん、ゆぞ、れえる、Jinさん、どらぐ、むな、筆者)
・槍ヶ岳(3180m)、大喰岳(3101m)、中岳(3084m)、南岳(3033m)に登頂
・下山時に遭難未遂も……

●動機、感想

槍ヶ岳登山の動機
槍ヶ岳登山の感想

●登山日記:目次

日付概要
2009.8.27(Thu)東京出発、松本市内に前泊
2009.8.28(Fri)槍ヶ岳登山1日目 〜槍ヶ岳山荘(3060m)まで〜
2009.8.29(Sat)槍ヶ岳登山2日目 〜3000m峰×4登頂、そして遭難未遂〜
2009.8.30(Sun)帰還


槍ヶ岳登山の動機

槍ヶ岳とは、日本第5位の高峰である。山頂付近は「槍の穂先」と呼ばれる険しい岩場であり、日本のマッターホルンとも呼ばれているらしい。従って、富士山と違って高山病の危険は少ないものの、登頂の難易度は高い。

筆者は2008年、2009年と続けて富士山に登頂した。その過程で次の目標として挙がってきたのは「日本国内のさらなる難山に登る」「日本百名山に登る」「海外の高山に登る」の三点であった。ここで日本国内のさらなる難山とは槍ヶ岳(3180m)、剱岳(2999m)、奥穂高岳(3190m)等を、海外の高山とは玉山(台湾最高峰、3952m)やキナバル山(マレーシア最高峰、4095m)等を意図していた。

今回槍ヶ岳を選んだのは、夢の中で天啓が得られたからである。また、作戦のコードネームはヤリオフとした。槍ヶ岳のヤリ、やり込み人のヤリ、そしてエロい意味でのヤリという3つの意味を込めた。


2009.8.27(Thu)

東京出発、松本市内に前泊

19:30にPoCarで早稲田発。15分くらい早く着いたため、付近のコンビニで水、Pocari、ウィダーを購入しておく。途中で軽く飯を喰いつつ、向かったのは松本市内の寝カフェだ。23時過ぎ、予約無しという状況で宿泊を受け付けてくれる所は他にラヴホくらいしかなく、ほぼ唯一の選択肢として寝カフェに宿泊した。寝カフェでは当然ながらネットも使えるため、日記をさらっと書いてから就寝。


2009.8.28(Fri)

槍ヶ岳登山1日目 〜槍ヶ岳山荘(3060m)まで〜

●新穂高温泉まで

3:30に起床し、さらっとネットをチェックしつつ4:00には出発した。今度は山道を通って新穂高温泉へ向かうのだが、ぽかたんの運転が凄まじい。あの連続カーブにあのスピードで突っ込むとは……。TW国語Rと同様、筆者には見えていないものが見えているとしか思えず! 後部座席に居た筆者は、槍アタック時よりも恐怖を感じました ^^

しかーしこのタイムアタックのお陰で、5:25には新穂高温泉に到着〜♪ 関西組(Jinさん、どらぐ、むな)と久々の再会を果たす。Jinさんとは8カ月ぶり、どらぐ・むなとは1年ぶりだ。

●登り:予定と実績

予定実績場所
6:006:30新穂高温泉(駐車場出発は6:20)
7:007:40穂高平避難小屋
8:008:33白出沢出合
9:3010:04滝谷避難小屋
10:3011:15槍平小屋(昼食)
11:3012:20槍平小屋発
14:0014:26分岐点(千丈乗越方面)
16:3016:55槍ヶ岳山荘

●白出沢出合まで

いきなり30分遅れのスタートとなった。これが最後まで響いている。槍ヶ岳山荘の到着目安は17時なので、実はかなり危なかった。遅れのうち20分は出発準備の遅れによるものであり、残り10分は駐車場から登山口までの時間と登山届提出の時間だ。次回登山時には準備時間を短縮するとともに、そもそも準備時間を考慮に入れたスケジュールを組む必要があるだろう。

登山届を提出序盤の地図(出典:    )

新穂高温泉から白出沢出合までは、車も通れるまったりとした道が続く。地図上、新穂高温泉→穂高平避難小屋→白出沢出合と続く白い道がそれだ。実際には途中にゲートがあり、工事用車両以外は入れないことになっている。

登山ルートは紫色で示してある。ほとんどすべての場所で車道と登山道は一致しているが、1箇所だけ違うところがある。穂高平避難小屋の周辺がそれだ。Jinさんと二人で先頭を歩いていた筆者はこの登山道の分岐に気付かず、車道を登り続けてしまった。後方を歩いていたどらぐは気付いていたらしい。筆者が気付いたのは、元の方向に延々と引き返しつつ穂高平避難小屋に到着した時だった。

この時点では、コースタイムから10分遅れるだけという軽微なロスで済んだ。ずっと後になって、この小さなミスが重大な結果を招くことになるとは、この時は夢にも思わなかった。

川を見ながらまったりと歩く。癒されます穂高平小屋の前で休憩

●槍平小屋まで

白出沢出合以降は、ぽかたんに先頭に立ってもらう。Jinさんと筆者のペースはやや速かったらしい。ぽかたんのペースは速すぎず遅すぎずといったところで、以後槍ヶ岳山荘到達までずっと先導してもらった。筆者は一番後ろを歩いていたことが多かった。

白出沢出合を出て5分程度歩くと、白出沢と呼ばれる水の枯れた沢がある。ここで白出沢上流に向かって工事用の道路が延びている。我々は誤ってそちらに向かってしまった。30秒ほど歩いたところで後方からクラクションを鳴らされ、工事に来た人に「登山道はこっちだよ」と教えてもらう。工事の人はその場でロープを張り、登山道を示す看板を設置していた。

とはいえ、これは地図が読めていなかった我々のミスだ。地図上では白出沢を横切るように登山道が示されており、それに注意していれば防げる類のミスだった。ちなみに、工事用の道路をそのまま進んだ場合、運が良ければ工事現場で立ち往生し、そこで初めて戻ることになっただろう。運が悪ければ穂高岳山荘に向かう登山道と合流してしまっただろう。いずれにしても、危うくとんでもないロスになるところだった。

登山道と工事道の分岐(矢印は後で設置された)滝谷避難小屋付近の休憩ポイント

白出沢を横切ると今度は樹林帯の中の山道だ。この辺はさほど辛い道でもなく、淡々と進んでいた気がする。我々と同じ道をおばちゃん3人組が登っており、出発地点から抜いたり抜かれたりを繰り返していた。我々はペースが速いが休憩も多い。彼女たちはペースこそ遅いものの休憩を最小限で済ませている。結局トータルの時間は大して変わらないのだ。

滝谷避難小屋の少し前で標高1700m突破。朝方からずっと曇っているためさほど暑くなく、快適な登りが続く。しかーし滝谷避難小屋を過ぎた頃から登りが急になってくる。足元にも岩が増え、消耗しつつ登る。槍平小屋でPocariを買えるだろうと勝手に思い込み、この登りで持参のPocariをほぼ飲み尽くしてしまった。

11:15、予定より45分遅れで槍平小屋に到着した。昼食はぽかたん持参の料理セットでインスタント味噌ラーメン! コンビニで購入した100円のラーメンがここまで美味いとは! スープまで全部飲み干してしまった。塩分の消耗が激しかったという理由もある。

槍平小屋まであと少し昼食は超絶美味なインスタント味噌ラーメン

ちなみに、99%あるだろうと勝手に期待していたPocariは、この山小屋には無かった。無念に思いつつも水場で水を汲んでおく。

●槍ヶ岳山荘まで

例のおばちゃん達は槍平小屋に泊まるという。槍ヶ岳山荘まではコースタイム5時間、しかも途中に小屋は無い。17時までの到着が困難であれば、確かにここに泊まるしかない。しかし我々は若さと勢いに溢れまくっており、昼食後に予定通り一気に槍ヶ岳山荘を目指すことにした。

槍平小屋以降は標高100m毎に小さな看板が設置してあり、これを見つけるたびにモチベーションが上がっていく。休憩の頻度も標高約100m毎であり、ペースメーカーとしても機能する。地図を見ると、標高2200m以降は等高線の間隔が狭く、急登であることが分かる。この辺では15〜20分ごとに休憩を入れていたが、ペースはさほど落ちていない。千丈乗越方面への分岐点に到達した時点で遅れが26分にまで縮まった。槍平小屋出発時は50分遅れだったため、24分も縮めたことになる。17時までの槍ヶ岳山荘到着が現実的になってきた。

最終水場。槍平小屋から約1時間20分ピンク色のリボンを目印に。この辺は比較的緩い登り

標高2500mを過ぎたあたりで背の高い木がほとんどなくなり、さらに進むと岩場になってきた。時々ピンク色のリボンで道が示してあるため、それを目印にして進む。この辺からガスに巻かれ、しばらくすると雨が降ってきた。2900m地点の手前で雨具の上とザックカバーを装着し、先に進んでいる。

千丈乗越方面への分岐点付近。森林限界を超えている高度約2800m。植物が少なく、岩が多い

実績高度
15:062700m地点
15:332800m地点
16:112900m地点
16:333000m地点

こんな感じで、100mにつき休憩含め30分程度で進んでいる。ちなみに筆者は2500mを過ぎたあたりから微頭痛が続いていた。歩いている間は問題ないが、休憩時に呼吸が浅くなると痛みが復活する。高山病の兆候である。

槍ヶ岳山荘は標高3060mの場所にあるらしい。我々は3000m程度の場所にあると勘違いしていたため、3000mを過ぎてからの登りが精神的にやや堪えた。途中にはテント場があり、雨と霧の悪天候の中でも十数張りのテントが点在していた。

16:55、リミット5分前に槍ヶ岳山荘に到着〜♪

●槍ヶ岳山荘

到着後、まずは高山病対策として頭痛薬を投与しておく。雨と汗で濡れた衣類を素早く乾燥室に干し、フリースとレインウェア下で食事と睡眠〜♪ 歯磨きとネットも忘れずに。

……この山荘では、あらゆる意味で我々の予想を上回る待遇を得られた。1泊2食で9000円という料金も、これなら納得できると思った。こんな雨天の時には、倍額ぼったくってもいいくらいだ。ぽかたんが宿の人と知り合いであるという事実も、プラスに働いた。

まずは部屋。7人で予約してあったとはいえ、個室を一つ独占できるとは思わなかった。おまけに、布団は1人1つ! 富士山の山小屋のように、見ず知らずの人も含めて「1つの布団で2〜3人寝る」ことを想定していたため、驚きはあまりにも大きかった。ちなみにこの布団、水分を吸収して熱に変える素材でできており、真冬でもぽかぽかと温かいらしい。実際、部屋に入った時には寒かったのだが、寝ている間はとても温かかった。

続いて各種設備。何と言っても「乾燥室」の存在はあまりにも神すぎた。おかげで濡れた衣類を速攻で乾かすことができ、翌日も快適に過ごすことができた。バイオトイレも綺麗すぎ。山小屋トイレと聞くと「汚い」「臭う」というキーワードが即座に思い浮かぶのだが、槍ヶ岳山荘のトイレはその種のマイナスイメージとは無縁であった。さらには、ネット接続可能なPCまで用意されていた。長時間の占有はできないが、日記をさらっと書くくらいなら十分だ。宿泊者限定で無料となる水がある点も嬉しい。前日の登りで空になったペットボトルに水を満たしておいた。

極めつけは食事だ。使い捨て容器に入ったカレーか豚汁を想定していたのだが……。出てきた食事はあまりにも衝撃的すぎた。食器と箸は再利用可能なプラスチック製。料理はライスと味噌スープ、茶に加えて、山鳥らしき肉の煮付、シューマイ、ポテトサラダ、漬物、そしてこんにゃく畑。さらには槍ヶ岳ブランドのワイン! おまけにビールまで付いた。山でこんな贅沢が許されていいのか!? と思ったくらいだ。

槍ヶ岳山荘での夕食広く温かい布団で快適すぎる睡眠


2009.8.29(Sat)

槍ヶ岳登山2日目 〜3000m峰×4登頂、そして遭難未遂〜

●槍アタックの予定と実績

予定実績場所
6:005:00朝食
4:306:30槍ヶ岳山荘発(荷物は山荘に置く)
5:007:15槍ヶ岳山頂
5:307:30槍ヶ岳山頂発
6:007:55槍ヶ岳山荘に戻る

●槍アタック

当初は「山頂で御来光を見る!」などという無謀な計画を立てていたため、4:00に携帯目覚ましを鳴らしてこっそり起き上がる。前日は18:30に就寝しているため、何の苦もなく起きることができた。しかーし外に出てみると濃霧に覆われている。おまけに日の出前ということで真っ暗だ。こんな状況で槍アタックはあり得ない。1秒で無理と決断し、さらに1時間睡眠〜

5時に朝食を食べ、出発の準備をしつつ外の様子を伺うが、相変わらず降り続く小雨に、晴れる気配のない霧。正直、この状況で岩登りは避けたいと思った。万一滑落事故が発生した場合は、取り返しがつかない。だが、この日のために皆で予定を合わせ、準備してきたのも確かだ。これを逃すと来年までチャンスは無い。ギリギリまで迷い悩んだ挙句、「行けるところまで行って、ヤバいと感じたら引き返す」決断を下した。ここで「行けるところ」というのは、登りだけでなく下りも考えてのことだ。

一度決断を下したら、後は登るのみ! この先で躊躇するようでは、リーダー失格だ。登りきるにしても途中で断念するにしても、決断は明確でなければならない。ってことで、先頭に立ってガンガン登っていく。

岩登りの経験は全く無いが(日光男体山や富士山の登りは岩登りとは言わない)、三点確保をすればいいという情報は得ていた。三点確保というのは、両手両足のうち3つを完全に固定させ、残る1つを動かすことを言う。というよりも、急斜面では自然にそのような形になる。例えば右手と右足を同時に岩場から離したらどうなるか、容易に想像がつく。時々あるハシゴも、基本は三点確保だ。クサリについては、基本的にあまり頼らない方針で。片手で雨に濡れたクサリを持った状況で片足が滑った場合、恐らく支えきれないと判断したからだ。

一番困ったのは、メガネだ。曇って視界が効かなくなるので、時々立ち止まってぬぐう必要がある。また、雨が容赦なく髪を濡らしていくため、水滴が落ちてくる。一度など、それをぬぐおうとして危うくメガネを落としそうになった。あの場所で落としたら回収は不可能である。それどころか、裸眼視力0.01では槍からの下山すら困難になる。来年以降は対策が必要だ。メガネストッパーにするかスペアメガネを用意するか、はたまたレーシックを決断するか。

滑り止め付きの軍手(100円)は、非常に役立った。雨に濡れると指がかじかむと思っていたが、気温はそこまで低くなかった。時々絞って水分を除去する必要はあったが、滑り止めの機能自体は立派に働いた。

霧のため下界が全く見えなかったのは幸いしたと思う。滑落に対する恐怖は多少あったが、下を見て足がすくむ事態は全く無かった。無我夢中で登っているうちにいつの間にか2連続の垂直ハシゴが見え、それを登りきったらあっさりと山頂に到達していた。何を勘違いしたか、山頂付近には100mの垂直ハシゴがあると思い込んでいたため、山頂はまだまだ先だと思っていたのだが(笑

ヤリアタック! 風雨が激しく、結構怖い槍ヶ岳山頂の祠。
周囲は岩でごろごろ。一歩踏み外せば命は無い。

山頂は結構狭い。どちらを向いても急峻な角度で崖が切り立っており、霧の中に隠れているとはいえなかなかスリリングだ。風でバランスを崩すのが怖かったため、四本足で歩いていた。そのうちヤリオフ参加者全員が次々と無事に登頂してきたため、達成感に浸りつつ記念撮影〜♪

15分後に下山を開始した。槍ヶ岳のような岩場では、登りよりも下りが怖い。しかーし登りで難所だったところは下りが別の道になっていることが多い。ハシゴ以外は山を向く必要もなかった(注:本来は山を向き、岩から体を離して足元を見ながら降りるらしい)。結局、さほど恐怖を感じることなく下山を終えた。晴れていて下が見えたら足がすくむこともあるのだろうか。

下りも慎重に。山頂付近の垂直ハシゴ×4ヤリポーズをとる余裕も出てきたりw

●今後の行動方針の決定

槍ヶ岳山荘に戻った後は、しばらく休憩タイム。登山証明書(200円)はここで初めて購入した。

次に共用PCに向かい、登頂して帰還した旨を日記にさらっと書いておく。続いて勃発したのはe-typingと美佳タイプ。「富士山頂でローマ字単語打ち切り」(ぽかたん)に続いて槍ヶ岳山荘でもそれなりの記録を狙っていくが、皆指がかじかんでいてミスを連発しまくっている。一方、日記を書いたことでやや指が回復していた筆者はe-typingで2ミスに抑えて495まで伸ばし、参加者中の最高記録を叩き出した。美佳ローマ字単語は374にとどまり、ぽかたんに惜しくも及ばなかった。

登山証明書槍ヶ岳山荘で勃発したe-typing

続いて今後の行動方針を決める。雨天と霧の影響で槍アタックに手間取ったため、槍ヶ岳山荘出発の時点で当初のスケジュールからは1時間40分の遅れとなった。当初は14:20に槍平小屋に到着してそのまま宿泊し、翌日に下山する予定だった。従って、たとえ1時間40分遅れても槍平小屋には16時に到着するわけで、何ら問題は無い。しかし今回はそのまま新穂高温泉まで下山しようという極めて無謀なプランが同時に上がっていた。

槍平小屋から新穂高温泉までのコースタイムは3時間半であり、槍平小屋での休憩時間を考慮すると下山完了は20時前後と想定される。これでは明らかに日没を過ぎてしまうため、冷静に考えれば槍平小屋に宿泊すべきだった。しかし我々は若さと勢いに満ち満ちていたのに加えて、槍平小屋に宿泊するよりは新穂高温泉まで一気に下山して温泉に入った方が100倍マシだという思考に支配されていた。

ちなみにこの時点では、大喰岳・中岳・南岳を経由せず、昨日来た道をそのまま下山するという選択肢もあった。これならばコースタイムが2時間半も短縮されるため、日没前に下山できる。しかしここでも槍アタック時と同様の思考が働いた。1年間準備してきたこと、そして今回を逃せば次の機会は来年まで無いことを考慮すると、槍ヶ岳に加えて3000m峰×3を制覇するルートはあまりにも魅力的だった。山岳部経験者のむなを中心に慎重論も出たが、次第にイケイケドンドンの雰囲気になっていき、最終的に全員一致で「3000m峰×3の制覇」「当日中の下山」が決まった。

冷静に考えれば、この時点では「3000m峰×3の制覇」「当日中の下山」のいずれかを犠牲にする必要があったのだ。ところがその判断ができず、後で問題を引き起こすことになる。

●3000m峰×3制覇、および下山の予定と実績1

以下、予定をリスケ

予定実績場所
8:408:40槍ヶ岳山荘発
9:209:14大喰岳
10:0010:00中岳
11:4011:37南岳
12:0011:52南岳山荘(昼食)
13:0012:40南岳山荘発
16:0016:08槍平小屋(長めの休憩)

●大喰岳・中岳・南岳

行動方針を決定している間に、雨はほとんど止んでいた。これ幸いとスタートを切る。と言ってもしばらく歩くとまた降ってきたが。しばらくの間はほぼ平坦な道が続いており、高度3000mの稜線歩きの楽しさを満喫できた。向かって左側(つまり東側)の急斜面には万年雪が大量に残っていた。もっとも、霧は相変わらず晴れず、槍を遠望できたことは結局一度も無かった。

東側斜面の万年雪大喰岳へ至る稜線の道

そのまま歩くこと25分、最初の3000m峰である大喰岳への登りが始まった。急斜面や岩登りも存在したが槍ヶ岳ほどではなく、あっさりと山頂らしき場所に到着〜♪ もっとも、大喰岳は縦走ルートから少し離れたところにあるため、霧のせいで危うく見失いそうになった。

次は中岳。岩だらけの道をひたすら歩く。この辺のルートは白いペンキで示してあり、○印と方向矢印に従えば問題ない。たま〜に×印があり、そちらに向かわないように注意する。最後にやや急な登りがあって、これまたあっさりと到着〜♪

大喰岳から中岳へ至る岩場。○印を頼りに進む×印の方向に進まないように!

中岳を過ぎた後は「2001年開通新コース」を進んでいく。ここで岩だらけの斜面を下りすぎたため、このまま下山ルートに入ってしまうのではないかと疑心暗鬼になりかけた。が、運良く登ってくる人を発見。南岳から来たとのことで、胸をなでおろす。

実際、さらに進むと2986mピーク(中岳・南岳中間地点)の立て札が見えた。続いて天狗原方面への分岐に到達し、ここまでは順調である。この分岐から5分ほど歩いたところで雷鳥を3羽くらい見かけたのだが、残念なことに写真は撮り損なった。その先は大して急な登りもなく、南岳に到着〜♪ そこから南岳小屋へは15分程度で到達した。

霧と雲だらけで槍は一度も遠望できず南岳。相変わらず霧で何も見えず

●南岳小屋

ここで雨がほぼ完全に止み、霧もある程度晴れてきたため、雨具の下とフリースを装備解除しておく。昼食には味噌ラーメンを注文した。塩分が不足しているため、またしてもスープを含め完食〜♪ 下界で食べればどうということはない味なのだろうが、3000m級の山の上で食べる味は格別だ。

●槍平小屋まで

西尾根と呼ばれるルートを少しずつ下っていく。丸木橋あり、ハシゴあり、クサリありという面白いルートだ。幸いなことに雨が完全に止んだため、雨具上とザックカバーを装備解除。さらに進むと霧も少しずつ晴れ、雲の間から絶景を拝めるようになった。これ幸いと写真を撮りまくりつつ進む。

クサリ付き丸木橋。結構怖い南沢カールを行く。この道は結構楽しい

ようやく霧も晴れてきて絶景が!天空へ続くハシゴ。DQ6の階段を思い出す

稜線上にはハイマツを保護するための木道が至るところに存在していた。両側は急峻な谷になっており、まさに空中庭園を散歩している気分だ。我々はこの道を神の道と呼んだ。

神の道!改めて両側を見ると結構怖い道

神の道をあらかた通過するととんでもない看板が。

とんでもない看板振り返って見れば確かに急な下り!

下 り の 方 へ
これからむちゃくちゃ急な
下りの始まりです。
あせらずにゆっくりと歩きましょう

この看板には槍平小屋まで1時間半と書いてあったが、ここからが長かった。登山道は岩の階段や木製・アルミ製のハシゴで整備されているが、特に森の中に入ってからはかなりキツかった。雨の影響で滑りやすく、筆者も転倒を余儀なくされた。今回は膝や足へのダメージは全く無かったが、半袖を着用していたため腕に数箇所の擦り傷を負った。さらにウザいのが、下山中も休憩中も容赦なくまとわりついてくる虫ども! 標高2150mまで下って森を抜けた時には、快哉の声が上がったほどだ。

岩の階段が整備されている森の中にはキノコも生えている。そして虫が多い

その先は特に難所も無く、槍平小屋に到着した。

●下山の予定と実績2

予定実績場所
16:1516:18槍平小屋発
17:1517:14滝谷避難小屋
18:1518:25白出沢出合
19:1519:22穂高平避難小屋
20:1521:11新穂高温泉

●穂高平避難小屋まで

槍平小屋到着時点で消耗していたメンバーが多かったため、ここで長めの休憩を取る。この時点で既に16時を回っており、白出沢出合あたりで日没にかかることが予想された。しかーし槍平小屋の宿泊は既にキャンセル済みであり、もはや下山するしかないという状況に陥っていた。

ってことでロング休憩モードに入っていたメンバーに先行して、Jinさんと二人で出発した。もちろんはぐれるつもりは毛頭無いので、少し先の川原で待ち。しばらくすると体力の有り余っていたゆぞ&れえるがトレイルランニングの如く猛然と追いついてきたため、そのまま先に行ってもらう。少し遅れて、これまた体力を温存していたらしいぽかたんが続くが、4番手にいたむなが少し遅れ気味だ。滝谷避難小屋の辺りでかなりの差がついていた。

槍平小屋付近の河原にて。良い眺め滝谷避難小屋。この先でパーティが分断された

滝谷避難小屋から先は筆者が4番手に入り、先行する3人との連絡役になろうと試みる。今回はこの時点でも膝にダメージは全く無く、そこそこ速いペースで歩いていた。実際、後続組との差はどんどん開いていく。しかーしトレイルランニング組との差は埋め難く、行けども行けども追いつけず! 途中の休憩ポイントと思われる場所でも姿が見えないため、休憩ゼロで追いかけるが、結局追いつくことは無かった。18:13に白出沢(水の枯れた沢。登りで工事用の道に入りそうになった場所)に到達したが、ここでも姿が見えない。日没が迫る状況でこれ以上後続と離れて単独行動するのは危険と判断し、ここで休憩しつつ待つ。(後で聞くと、先行組は18:09にここを通過したらしい。わずか4分差!)

18:20に後続組が追いついてきた。よって白出沢出合まで先に進むが……ここに居ると思っていた先行組の姿はまたしても見えず!

ちなみにこの間、ケータイ(au)は全くの役立たずだった。主要な山小屋の周辺を除いては常に圏外であり、しかも南岳小屋の辺りで電池切れになっていた。dqmaniac城出発時点でフル充電しておき、使わない時は電源を切っていたのに、この電池切れの速さはマジありえねー。これなら最初から車に置いてきた方が荷物が少なくて良かった。

白出沢出合で後続組を待ち、4人で行軍開始。むなとJinさんが足を痛めていたため、杖を貸したりしつつ。今回はここまで全く使わなかった杖だが、役に立って良かった。既に日没が近く、辺りはどんどん暗くなる。とはいえ、この時点で車道に出ていたのが幸いした。ヘッドランプを装備していれば、まず迷うことは無い。19:22には穂高平避難小屋まで到達した。ここから先は1時間もあれば下山できるだろう。

●新穂高温泉まで

ここで、登りの時に見逃してしまった近道の存在を思い出す。これを通り抜ければ15分くらい短縮できるのではないか!? と考えたのはごく自然なことだった。付近を探ってみると確かに、森の中にそれらしき道があり、簡単に通り抜けられそうな気がした。槍アタック時と同様、ヤバくなったら戻れば良いと提案した。戻った場合は新穂高温泉への下山が困難になるが、その場合は穂高平避難小屋に宿泊すれば良いだろう。

…… そ し て、 こ の 判 断 が 最 悪 だ っ た。

最初のうちは歩きやすい道だった。「筆者、むな、Jin、どらぐ」の順で、むな以外の3人がヘッドランプや懐中電灯を点灯しつつ進む。

ところが。先に進むにつれて少しずつヤバくなってきた。急な下りや、滑りやすい木の枝や根っこが快適な行軍を阻み始めた。ヘッドランプで道を探りつつ進んでいくと、今度は小さな沢がどんどん出てきた。その度に安全に渡るルートを見出しつつ、沢の先の道も探らなくてはならない。また、地図を見るとこの近道はある程度先に進んでから右方向に180度転換し、車道に合流することになっている。このため、意識が常に右方向に向いており、ひょっとして沢を渡るのではなくここで下るルートがあるのでは!? と疑心暗鬼になった。沢を下る危険なルートはあり得ないというむなの冷静な指摘が無かったら、本当に沢を下ろうと試みたかもしれない。

近道に入ってから30分くらい経過すると、もはや戻るという選択肢は皆の頭からきれいさっぱり消えていた。ってことでさらに進むが、今度は道がどんどん細くなっていった。人の腰の高さに倒木があり、くぐって進まなくてはならない場所もあった。これではまるで獣道だ。おまけに、筆者が大嫌いであるところのクモの巣が至る所にあり、その度に反射的に身をすくませることになった。また、Jinさんの懐中電灯の電池がこの辺で切れてしまい、さらに危険度が増した。

幾度目かの沢では、ついに確信が持てなくなった。ってことで筆者とどらぐが偵察隊となり、獣道の先を見極めたりもした。ここで頼りになったのは、どらぐが持っていたコンパスと、Jinさんが持っていたGPSだ。地図上では少し北にある「中崎山」と現在地を照合した結果、大きく間違っていないことを確認できた。これが無かったら、今度こそ来た道を戻る決断を下したと思う。一方で、むなはここで野宿すると言っていた。

結果的には獣道をさらに10分程度進んで車道に出ることができた。この時点で20:36。穂高平避難小屋を出発してから1時間以上が経過していた。体力的にというよりも精神的に疲労困憊していたため、ここで休憩。

夏山近道とあるが……。

後は新穂高温泉を目指して車道を下るだけだった。あと10分で到着というところで、先行組が車で迎えに来てくれた。後続組からの連絡が無かったため、遭難の可能性も考えていたとのこと! あと少し遅れたら本当に遭難扱いになるところだった。

●新穂高温泉(深山荘)

既に時刻は21時を回っており、急遽宿泊地を探す。最初に見つけたのは
深山荘。しかーし既に夕食提供時間を過ぎていたため、ご飯と漬物しか出せないとのこと。温泉よりもまず腹が減っていた筆者は思わず「他を探そう」と言ってしまったが、結局はここに宿泊することとなった。(何度も往復させてしまって申し訳ない>れえる)

温泉は素晴らしすぎた。飯も予想していたよりは良く(卵と茶がついた上、無料提供となった)、布団も山小屋とは桁違いの清潔さだった。早速先行組と後続組の間で経緯を報告し合い、その後は充実した眠りについた。


2009.8.30(Sun)

帰還

充実の朝食温泉旅館「深山荘」。お世話になりました

翌朝、質・量ともに充実した朝食を済ませた後、関東組と関西組に別れて新穂高温泉を後にした。関東組はぽかたんの運転で東京まで帰還したが、今回は昨年のフジヤマヴォルケイノオフの時ほどの元気はなく、TOD対戦が勃発することもなかった。それだけネタが多すぎた充実した登山だったということだ。


槍ヶ岳登山の感想

最後に今回の収穫と反省をまとめて記しておく。

●今回の収穫

何と言っても3000m峰を4つ制覇したことが最大の収穫だ。昨年の富士山も良かったが、今年の達成感は別格だ。

また、2008年の登山では散々悩まされた膝の痛みに関しては、今回は登山・下山を通してほとんど出なかった。杖2本も全く使わなかったし、アイシングも不要だった。結局、下山翌日に太ももの筋肉痛が出たのと、腕にいくつかかすり傷を負っただけで済んだ。毎日欠かさず継続した膝トレーニングの効果が出ていると言えるだろう。

次に食料について。今回はウィダーインゼリーと味噌ラーメンが非常に役立った。筆者は高山病が出ると食欲が失せるため、固形物を受け付けなくなる。このため、ウィダーを計4個持参した。これはPocariが尽きた後のミネラル補給としても極めて有効だった。また、ぽかたん持参の料理セットで作った即席ラーメンも、南岳小屋で注文したラーメンも、素晴らしい効能を発揮した。塩分補給しつつ温まるのは大きい。

最後に高山病対策について。今回はぽかたん持参の秘薬「ダイアモックス」が役立ったと考えられる。さらに自分でも頭痛薬を持参し、槍ヶ岳山荘到着時に投与した。この2つの対策により、以後は高山病が全く出なかった。富士山と比較して高度が低いという理由もあるだろうが、今後の高山挑戦時にもダイアモックスと頭痛薬は有効に活用したい。

●今回の反省

危険度が高いものから挙げていく。

まず雨&霧の中のヤリアタックはかなり危険である。ヤリは何とかなったが、さらなる難山で同じことをやったら明らかにヤバそう! 将来さらなる難山に挑むにあたり、何を基準にアタックの可否を決めるのか、今後も検討を重ねていく必要がある。

次に、夜間行動も大変危険である。ヘッドランプに頼りすぎてはいけない。いつ電池切れになるか分かったものではない。そもそも夜間行動をしなくても済む、余裕を持ったスケジューリングをすべきだ。また、近道は高度差が激しく、えてして難路となる。今回はこの認識も欠けていた。地図上では大したことなさそうな近道でも、他に悪条件(夜とか悪天候とか)が重なった場合は危険度が増す。遠回りでも安全なルートを採用すべし!

上記二点に共通していたのは、歯止めをかける人の不在だ。筆者は最初のうちは慎重論を唱えるが、実はイケイケドンドンになることが多い(!)。元がタイピストだから仕方ないとはいえ、登山では命が懸かる場合もあることを認識せよ!

さらに、パーティ分割時の連絡体制の不備も見逃せない。携帯電話(au)は本当に役立たずだった。山小屋でさえ電波が弱く、他ではほぼ圏外だった。しかも電話1本+メール1通で電池残量が3→1と激減し、その後は電源を入れて圏外かどうかをチェックすること数度で電池切れ。せめて充電器は持参すべきだった(そうすれば下山後に旅館で充電可能だった)。だが、根本的な対策は、トランシーバーの購入および持参か。そもそも、パーティ分割時の行動は滝谷避難小屋あたりで打ち合わせておくべきだった。

他にも、筆者が保険加入の必要性を真っ先に挙げておきながら結局忘れていたり、地図読みに慣れていなかったり(「2万5000分の1 地図の読み方」で引き続き訓練中)、メガネ落下対策ができていなかったり、登山途中でPocari不足になったり(次回は粉末Pocariを持参すべきか)といろいろあった。

●総括と今後

収穫も多かったが、数多くの反省点が残った。1つの大事故の陰には300個の「ヒヤリ・ハット」が存在しているという話を聞いたことがある。この意味で、今回は良い教訓になった。今回の反省点を生かし、改善すべき点を改善していかないと、将来の登山では必ずや遭難を引き起こすことになるだろう。

次なる登山の目標はいくつか挙がってきている。方向性別にまとめると

・日本百名山への挑戦(筑波山から富士山まで/利尻島から屋久島まで)
・日本の難山への挑戦(剱岳、大キレット〜奥穂高岳等)
・富士山よりも高い山への挑戦(キリマンジャロ等)

筆者の現在の技術では、難山への挑戦は無謀だと思う。しかしタイピングやアメリカ大学院留学と同様、限界は鍛錬によって突破できると考えている。個人もしくは小グループで近場の百名山を潰しつつ、年に一度は今回のメンバーで難山や高山に挑戦したい。また、今回の槍ヶ岳に関しては天候が悪く、360度の大パノラマを楽しめなかったのが残念だ。将来天候の良い時に再び登ってみたいし、北アルプス全体に関しても時間が許せば1週間くらいかけて大縦走をやってみたいものだ。


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