屋久島オフ(白谷雲水峡〜縄文杉〜宮之浦岳〜淀川登山口)



●概要

・白谷雲水峡〜縄文杉〜宮之浦岳〜淀川登山口のルート
・6人パーティ(ぽかたん、ゆぞ、Jinさん、どらぐ、むな、筆者)
・宮之浦岳(1935m)に登頂

●動機、感想

宮之浦岳登山の動機
宮之浦岳登山の感想

●登山日記:目次

日付概要
2010.10.1(Fri)東京出発、鹿児島まで
2010.10.2(Sat)白谷雲水峡と縄文杉
2010.10.3(Sun)宮之浦岳(1935m)登頂、その後帰還まで


宮之浦岳登山の動機

宮之浦岳とは、屋久島の中央部に位置し、九州・沖縄を含めた地域の最高峰である。また、日本百名山の中で最南端に位置する。登頂の技術的な難易度は高くないが、行程が長いのに加えて白谷雲水峡や縄文杉等の見所も多く、日帰りでは困難である。他の名所も観光することを考慮すると、むしろ二泊三日かけても良いと言えるだろう。

また、登山道沿いに避難小屋は存在するが、混雑具合が正確に予想できないことから、テント、シュラフ、マットの準備がほぼ必須となる。加えて、食事は基本的に自炊である。従来の国内山行では山小屋泊がメインであり、寝場所や食事の確保を心配しなくても良かったのだが、今回はそこを含めた計画を立案する必要があった。


2010.10.1(Fri)

東京出発、鹿児島まで

今回は飛行機が19:05発であり、定時ダッシュしても間に合わない。従って事前に午後半休を取得しておいた。平日昼間にしかできない野暮用も大量に蓄積していたため、実に慌しくそれらを処理し、シャワー、着替え、パッキングを済ませてから空港に向かった。

この時間から屋久島まで行く飛行機は無いため、必然的に鹿児島泊になる。今回は空港から徒歩7〜8分程度のウィークリーマンションをむなが見つけてきたのだが、これがまさに神宿だった。特に人数が多い時に、これだけ設備の整った宿を安価で利用できるのは非常にありがたい。交通費の問題さえクリアできれば、次回のカードゲーム&ボードゲームオフの会場としてどうかという案も出たくらいだ。

神宿!神宿2!


2010.10.2(Sat)

白谷雲水峡と縄文杉

●白谷雲水峡まで

朝一の飛行機で屋久島へ。機内はガラ空きであり、搭乗後に座席を移動して今回のメンバー6人で固まることができた。機内から見る桜島や大隅半島、種子島の眺めもなかなか良かった。

ガラガラの機内機内から見た桜島

そしていよいよ屋久島が見えたのだが……

ここだけ分厚い雲に覆われている!

種子島が見えるあたりまでは晴れに近い曇りだったのに! 1カ月に35日雨が降る島という噂は本物であった。

空港では「淀川歩道橋の通行にご注意ください。」なる張り紙が。これは今回のゴール付近の場所だ。橋を渡れなければ渡渉か!? 迂回か!? それすらも難しければスタート地点まではるばる戻るのか!? などという話が仲間内で飛び交っていた。

まずはタクシーで「ナカガワスポーツ」に向かい、テント、シュラフ、マット、コッヘル、バーナーをレンタルした。このうちシュラフとコッヘルはザック内に入ったが、マットはザック内に入らないため、背中に当たる部分とザック背面の間に挟むこととした。テントとバーナーはこの時点では持てず、他のメンバーに持ってもらった。

次に屋久島観光センターに行き、登山に使わない荷物をコインロッカーに預けた。着替えやサンダル等で荷物が膨らんでいるメンバーが居たためだ。筆者は特に何も預けなかった。また、付近のA-coopなるスーパーに立ち寄り、今日の昼食と明日の朝食を調達した。筆者は事前にウィダー4個と水500mlを調達済みであり、これで食事とする予定だったが、3本198円のキュウリを見つけたため確保しておいた。漢拏山登山時に韓国の友人が差し入れてくれたキュウリが非常に美味だったことを思い出したためだ。その後、いよいよ白谷雲水峡へ。っと

雨が激しく降ってきやがった!

まさに滝のような雨。槍ヶ岳の頂上アタックや、剱岳断念時の暴風雨と比較すると、風は無いに等しいが雨が半端ではない。

●楠川別れまで:予定と実績

予定実績場所
10:1511:21白谷雲水峡
10:35不明さつき吊橋分岐
12:0012:15白谷山荘
12:4513:06辻峠
14:2013:49楠川別れ

※予定では辻峠で昼食としたが、実際には白谷山荘で済ませた。

●楠川別れまで

しばらく待っていても止む気配が無いので、やや小降りになったタイミングで出発した。なお、白谷雲水峡では雨具上下を着用し、かつ旅行用の軽い折り畳み傘を装備していた。低山に居る間はそんなに風が吹かないだろうと予測したためだが、今回はうまい具合にその予測が的中した。また、白谷雲水峡の奥に進むにつれて雨が止んできたのも幸いした。すれ違う人も次第に少なくなっていった。

雨の白谷雲水峡見所はいろいろあるのだが……

もっとも、この雨の影響で、余裕を持って景色を楽しむというわけにはいかなかった。散策路はいろいろあるのだが、結局楠川別れまでは最短ルートをひたすら突き進んだだけだった。もののけ姫の森とやらも、どこにあるのか分からなかった

巨大な株!(だとこの時は思った)ヤクシカキター!

屋久島の樹木の育ちっぷりは想像以上だった。亜熱帯気候と言っても良いほどの高温多湿な環境に育まれた、あり得ない大きさの樹木が至る所にあった。最初のうちは直径1m程度の樹木や切り株を見る度にいちいち驚いていたのだが、そのうち感覚が麻痺していった。また、ヤクシカも頻繁に出現した。人間を見ても逃げることはなく、写真撮影も落ち着いてできた。

歩き始めてから1時間程度で白谷山荘に到着したため、昼食とした。小屋や山荘と言っても基本的には避難小屋であり、雨露をしのげる建物とトイレがあるだけだ。それでも無いよりはよほどありがたいのだが。この段階では調理器具を出さず、携帯食糧とした。筆者はウィダー1個目をここで食した。

くぐり杉白谷山荘に到着

その後も時々小雨が降る中を強行軍で突破した。辻峠までの登りはそこそこキツかったが、この時点では疲労がほとんど無かった。この辺になると少しばかり大きな樹木を見てもいちいち驚かなくなっていたが、名前の付いているような巨樹が出てくるとやはり感嘆の声が上がった。

七本杉辻峠

辻峠という名前の通り、峠を過ぎた後はしばらく下りが続いた。我らがタイパー登山部の誇るトレイルランナー、ゆぞが猛然とダッシュを開始し、あっという間に見えなくなった。いい機会なのでぽかたん持参のトランシーバーを試してみたりもした。とはいえ、ずっと下りというわけでもなく、楠川別れに到達するまでに相当アップダウンがあった。疲労も出てきたため、楠川別れで休憩とした。登山前にスーパーで調達しておいたキュウリがここで役立った。韓国では登山中にキュウリを食べるらしいが、水分および野菜の補給という観点からとても良い習慣だと思う。

トロッコ道路。何という歩きやすさ!楠川別れまでの道はこんな感じ

●高塚小屋まで:予定と実績

予定実績場所
14:2013:49楠川別れ
15:4015:11大株歩道入口
17:2517:52縄文杉
17:4018:40高塚小屋
19:10新高塚小屋

※新高塚小屋には、予定を大幅に上回って日没までに到着できそうな場合にのみ行く計画だった。

●高塚小屋まで

楠川別れから先のトロッコ道路を少しずつ登っていくのは、白谷雲水峡のアップダウンと比較すると段違いに楽だった。緩やかな登りが続き、下りが無いため精神衛生上も良い。時々橋を渡る時の景色も素晴らしい。白谷山荘〜楠川別れの区間ではほとんどすれ違う人がいなかったが、このトロッコ道路では下山してくる人とすれ違うことが増えた。時間帯や装備から推察するに、恐らく大半の人が縄文杉までの日帰りなのだろう。

いい眺めいい眺め2

ペースも自然に上がり、順調に大株歩道入口に到達した。ここで少し長めの休憩を取り、食事やトイレに充てた。筆者はウィダー2個目をここで消費した。なお、幸いなことに雨はこのあたりで完全に止んだ。次に降られたのは下山完了後、タクシーでレンタル屋に向かっている時だった。とはいえ、湿度は全行程を通して異様に高く、特に登りでは常に汗が吹き出ていた。このため疲労の蓄積が速く、水分とミネラルの補給は必須であった。

あの豪雨が嘘のように止み、青空が!本格的な登り開始

大株歩道からは本格的な登りだった。と言っても木製の階段が整備されており、難所はほとんどない。少しペースを落として確実に進んでいけば、いずれ目的地に到達できる。途中で、つい最近(9月中旬?)折れたばかりの翁杉があった。これはここまでの巨大杉の中でも最大級のものであった。

倒壊後の翁杉倒壊前はどれほどの巨樹だったのか

今回は19:10に新高塚小屋到達という計画を立てていた。しかし実際にはウィルソン株到達時点で16時に達しており、日没までに高塚小屋に到達するのが精一杯という状況であった。夜間行軍や、真っ暗な中でのテント設営や自炊を回避するため、新高塚小屋ではなく高塚小屋に宿泊することで合意した。

ウィルソン株は、外から見るとそんなに大きく見えない。巨樹がありすぎて目が慣れてしまったためかもしれない。だが、中に入ってみて圧倒された。これはあり得ない。30人くらいは入れそうな空間があった。我々も6人全員で入って写真を撮影した。

ウィルソン株の外観ウィルソン株の内部

その後も、よく整備されて歩きやすい歩道と、常軌を逸した巨樹群とのコントラストを楽しみつつ、縄文杉を目指して歩き続けた。途中に夫婦杉というのがあり、なぜ夫婦なのかが最初はよく分からなかった。が、よく見ると一方の杉の枝がもう一方の杉の幹に挿入されていた。こういう造形が自然にできるものだろうか。それとも、人為的な造作の結果だろうか。

よく整備された歩道枝が挿入されているから夫婦杉!?

縄文杉も巨大だった。写真ではそんなに大きく見えないが、あり得ない大きさだ。ここで30分程度とどまって写真撮影等に興じた。なお、樹木保護のために展望台が設けられていた。携帯の基地局と思われる設備もあり、実際に一部キャリアの携帯が通じた。

縄文杉に到達周辺の普通の杉と比較すると馬鹿でかさが分かる

写真撮影が終わる頃には既に暗くなりかけていた。途中でヘッドライトを点灯させつつ、真っ暗になる直前に高塚小屋に到着した。小屋内に6人寝ることもできそうだったが、せっかくテントをレンタルしたことだし、4人分のテントを張ってみることにした。山岳部経験者のむなのリードで、あっさりと完成!

タイパー登山部初のテント泊

ゆぞとどらぐが縄文杉手前まで水汲みに行っている間に、調理も進んだ。基本的に湯を沸かすだけだが、フリーズドライ食品の味は神懸かっていた。半日の山行で消耗した塩分と水分を補給し、かつ体も温まる。カップラーメン類とご飯もの(ピラフ等)、カルボナーラスパ、それに食後のC.C.lemonまで。これまでにない贅沢感だった。

食事後は既に真っ暗であり、早々に睡眠モードに入った。ここでテント組(ぽか、むな、どらぐ、ゆぞ)と小屋組(Jinさん、筆者)に別れた。筆者は小屋組だったが、かなり快適だった。何しろ小屋の2階には6人程度が横になれるスペースが丸々空いており、そこをJinさんと二人で独占できたからだ。なお、1階には既に5人ほどが就寝中だった。


2010.10.3(Sun)

宮之浦岳(1935m)登頂、その後帰還まで

●宮之浦岳まで:予定と実績

予定実績場所
5:15高塚小屋
5:006:12新高塚小屋
6:408:01平石
8:159:13宮之浦岳

※日の出は6:10前後。

●宮之浦岳まで

予定通り4:30に起床した。携帯のアラームが鳴る前に1階の人がガサゴソと起き始めたため、外は真っ暗だったが何の問題もなく起床できた。なお、テント組は4:00に起床し、既にテントや調理器具の片付けをほぼ終えていた。その後携帯食糧で軽めの朝食を取った。筆者はウィダー3個目をここで消費した。これでザックに空きができたため、コッヘル2個目とバーナーを持つこととした。

高塚小屋を出発後、しばらくの間はキツめの登りが続いた。しかも真っ暗なので、ヘッドライトを点灯して進む。夜間行軍は富士山やキリマンジャロでも経験済みだが、アレは森林限界を越えているため周辺の見通しが良い。だが今回は森の中を進むため、月明かりも届かない。滑落への恐怖も多少はあった。幸いだったのは、雨が降っていなかったことだ。雨天の場合は危険度が著しく増すと思う。

早朝の山は清々しい新高塚小屋

6:00近くになり、ようやく明るくなってきた。ヘッドライトを消灯しつつ、新高塚小屋に到着した。事前に情報を得ていた通り、この小屋は確かに高塚小屋よりも遥かに充実した設備を持っていた。小屋もテント場も広いし、何よりも水場の存在が大きい。我々も休憩しつつ、飲み水を補給しておいた。

その後またしばらく登りだったが、次第に平坦な道が増えてきた。時々稜線に出ると、日差しは強いが風が心地良く、何よりも景観が素晴らしい。7時少し前には宮之浦岳らしき山も見え、いよいよモチベーションが高まった。また、宮之浦岳よりも明らかに難易度の高そうな岩山もあった。将来岩登りの技術を会得したら、こういうピークを目指していくことになるのだろうか。

宮之浦岳らしき山が見えた!謎の岩山

8時過ぎに平石に到着した。小ピークに、巨大な丸岩があった。付近の休憩ポイントからは、宮之浦岳らしいピークがはっきりと見えた。ここの景色が今回の山行の中では一番良かったと思う。また、ボルダリング経験者のぽかたんとゆぞがこの丸岩を登れるかどうかという話をしていた。筆者もこの時点ではかなり余裕があったので、10mほど離れたところにあるより高い岩に登ってみた。足元が藪になっていて見えないところがあり、そこに足を踏み入れると滑落しそうな雰囲気だったが、そこを回避しつつ、何とかよじ登ることに成功した。

平岩(左下)よりも高い岩に登頂成功(撮影:ゆぞ)宮之浦岳への登り

そこから宮之浦岳までの道は、胸の高さまで笹に覆われていることが多かった。遠くから見ると美しい緑に覆われた中にはっきりと登山道が存在していたのだが、近づいてみるとこんなことになっていたとは(笑)。また、山頂まで残り500mというところでゆぞが待ち兼ねたようにダッシュを開始した。今回のパーティの中で最も重くかさばる荷物を背負いながら、あれだけのスピードで登るとは! 筆者はとてもついていけなかったが、何とか二番手でゴール。山頂付近にまたしても巨大な岩があり、そこを右に行くか左に行くかで5分程度迷った。ちなみに右に行ってもトレースはあったが、そこまでの登山道と違って獣道レベルの狭さになったため、これはヤバそうだと判断して戻った。

だんだん笹がヤバくなってくる山頂に到着〜♪

山頂ではガスがかかっていて眺望は今一つだったが、達成感はあった。既にゆぞと西洋人が登頂していた。西洋人と英語で少し会話したところ、フランス出身であり、1カ月くらいかけて沖縄〜九州を周遊中で、これから長崎に行くとのことだった。また、山頂の標識は高さ150cm程度の丸太でできており、それによじ登ろうとしてみたり。成功したのはゆぞとどらぐだけだった。ゆぞは腕力、どらぐはジャンプ力で悠々クリアしていた(身長も多少は有利に働いたのかもしれない)。だが、筆者を含め他4人は見事に失敗した ^^; 何だか悔しいので、付近にあった「山頂の道標よりも高い岩」の上に立ってみた。

山頂でくつろぐメンバーとフランス人ゆぞがさりげなく山頂の道標に登っている

●淀川登山口まで:予定と実績

予定実績場所
8:159:13宮之浦岳
9:25不明翁岳手前
10:3011:21投石平
11:2512:14花之江川
12:5013:25淀川小屋
14:3515:01淀川登山口

宮之浦岳から先は下るだけだと勝手に推測していた。しかし実際にはアップダウンの連続であり、意外と消耗した。これは事前に地図を読むことを怠った報いだ。

しばらく下ってから少し登り返すと、「ほこら」と書いてある小ピークがあった。ここにも山頂に巨岩があり、内部に空洞ができていた。

この辺の下りは本当に楽モアイみたいな岩

その後も少し下ってはまた登り返す、ということが多かった。下りは景色も良く快適だったが、少しずつ消耗していった。膝サポーターのお陰で膝の痛みは最後まで出なかったし、膝への衝撃を抑える歩き方を繰り返していたが、それでも筋肉の破壊を完全に抑えることはできない。少しずつ確実に足が疲れていく様子が、登り返す時にはっきりと分かった。

下って登ってたまに怖い丸木橋もある

投石平

ロープ付きの岩下り投石平。登るのは無理だったw

植生が豊か戦士たちの休息

この辺で林の中で休憩、最後のキュウリを喰ったと思う。

事前の地図チェックが甘く、高盤岳を次のポイントとしていたが、実際にはそのふもとを通過するだけだった。その代わり、花之江川との交差点が似たような場所にあったため、ここで代用した。なお、ここから石塚小屋に行けることを示す看板があり、トイレを求めていたメンバーがそこに向かおうとしたが、実は小屋まで1.2kmあることが判明したため、結局淀川小屋までトイレを我慢することとなった。結局新高塚小屋から淀川小屋まで、約7時間にわたりトイレが無いという状況に陥るため、携帯トイレを持参した方が良いかもしれない。

花之江川道標。実際には石塚小屋まで1.2kmある

川を通り過ぎると再び登りとなった。川があるということは沢に下りることと同義なので、これは当然か。ここの登りもキツかった。しかし次に小花之江川が近付いてきたあたりで淀川小屋からの距離がガンガン縮まってきたため、気分的には楽になった。

小屋の手前に、少し前に崩壊したという淀川歩道橋があった。修復工事が進められているようだが、大人数で渡ると危険と書いてあったため2人ずつ渡った。その先に淀川小屋があった。この時点で予定から35分遅れくらいにまで遅れを取り戻しており、空港での待ち時間で十分吸収できると判断したため、予定通り1時間の昼食タイムとした。

淀川歩道橋昼飯はどん兵衛。美味すぎた

ここで二度目の調理に取り掛かった。水場と調理場の存在がありがたい。フリーズドライ食品やコーヒー、紅茶等を貪り喰った。実際、朝5時に出発して以来ほとんど何も食べていなかったため、この食事は非常に美味だった。

淀川小屋で居合わせた人と会話しているうちに、帰りの交通手段がヤバいのでは? という話題になった。15:45にバスがあるらしいが、タクシーを呼ぶのは携帯の電波の問題で難しいとのこと。そこで、ゆぞにトレイルランニングをしてもらって先に下山してもらうことにした。携帯が通じるならばタクシーを呼び、通じないならばトランシーバーで連絡を取りつつ次の行動を判断することとした。場合によってはバス停からバスに乗ってさらに進み、携帯が通じるところまで行ってからタクシーを呼ぶことも想定した。

淀川小屋淀川登山口に到着

ゆぞのトレイルランニングは凄まじい速度であり、またしてもあっという間に姿が見えなくなった。筆者も膝が許す限りの速度で追いかけたが、歩くのと走るのとでは大違いだ。淀川登山口まで、ゆぞは20分弱で駆け下りたらしい。走れなかった筆者は26分だった。なお、淀川入口では案の定携帯が通じなかったらしいが、その時に登山道を歩いていたJinさんの携帯が奇跡的につながり、タクシーを呼ぶことに成功した。

しばらくしてどらぐが下山してきた。全員が下山したのは15:15頃だった。最後に全員で集合写真を撮り、今回の山行が無事終了したことを喜び合った。精算もここで終わらせた。

淀川登山口から先にも、尾之間歩道という遊歩道がある。もう一泊できればさらに散策するのも良いかもしれない。だがむなを除く5名は翌日から普通に仕事であり、残念ながら戻らざるを得なかった。

尾之間歩道もなかなか楽しめそう帰りのタクシーから見たヤクザル

タクシーで下山中、確かにバス停があった。淀川小屋で居合わせた人たち(山頂で出会ったフランス人を含む)が数名、バスを待っていた。結果的に我々もこのバスに間に合った計算になるが、レンタル屋とコインロッカーを回って17:40頃までに空港に行くというギリギリのスケジュールを考えると、タクシー利用が唯一の選択肢だった。

また、紀元杉があったり、ヘリが墜落した現場があったり、山行中についに出合うことのなかったヤクザルを初めて見たり(しかも集団で!)と、タクシー乗車中もなかなか楽しめた。

タクシーで下山するのに1時間程度かかったと思う。レンタル屋で無事にレンタル品を返却し、むなと別れを告げた。むなは奥様を呼び寄せてさらに1日観光するとのことだった。さらにコインロッカーで荷物を回収し、ついでに観光センターで土産を買った。筆者はコインロッカーに預けた荷物もなく、土産も会社と自宅に菓子折り1箱ずつなので、ザック内にすべて収納できた。一方、ぽかたんの土産の量にはいつも驚かされる。

空港には17:30頃到着した。搭乗手続きまでに15分程度の余裕があったため、ここで2日朝以来久々に洗顔と歯磨きを実行した。これだけでだいぶ快適になった。

屋久島空港から乗ったJAL機

機内は行きと違って混雑しており、搭乗後の移動はできなかった。筆者は大抵前の方の通路側の座席を確保するのだが(着陸後に素早く行動するため)、今回は前から二番目の列を確保できた。しかも、最前列が空いていたためか、搭乗後にそちらの座席への移動を勧められた。最前列(を含む非常口付近の座席)に座った乗客は、トラブル時に非常口を確保して他の乗客を誘導・介助する役割があるのだが、筆者にとっては初の経験だった。結局何事もなく鹿児島空港に到着したのだが(笑

鹿児島空港でゆぞ以外のメンバーとも別れた。皆さん乗り継ぎの時間を最小限に設定していたためだ。ゆぞと筆者は1時間程度の余裕があったので、とりっ娘なる弁当を買って夕食とした。

羽田空港では最後のRTA(リアルタイムアタック)が待っていた。飛行機の到着予定時刻が21:25で、自宅方面へのバスは21:35と22:15に出る。座席がかなり後ろの方だったので21:35のバスは半ば諦めていたのだが、何と飛行機が5分程度早く着いた! ということで、慌しくゆぞと別れてダッシュ開始! バスのチケット売り場到着が21:27、乗り場に並んだのが21:29だった。まさにギリギリのタイミングで21:35のバスに間に合った。ここで40分待ちを喰らうと帰宅後の睡眠時間に丸々響くため、多少無理をしてでも間に合わせて正解だった。


宮之浦岳登山の感想

宮之浦岳は2000mに満たないし、縄文杉までは一般人も普通に行くとのことで、正直ナメきっていた。高尾山〜陣馬山のハイキングと大して変わらないだろう、と。しかーし縄文杉〜宮之浦岳の区間はガチでキツかった。ここでかなり疲労したため、淀川登山口までの下りもキツかった。

最後に今回の収穫と反省をまとめて記しておく。

●今回の収穫

今回はタイパー登山部で初めて「テント泊」「コッヘル調理」を実行した。今回はお試しという意味もあって大部分の用具をレンタルで揃えたが、これを機に購入するのもアリだと思った。荷物は重くなるしゴミも出るが、行動範囲が大幅に拡大される利点は見逃せない。それに、山小屋と比較すると安上がりで、行動の自由も確保される。一方で、悪天候の時は山小屋のありがたみを痛感することになるだろう。結局、悪天候の時は山小屋泊、そうでない時はテント泊というのがリーズナブルな選択肢であろうか。

また、キリマンジャロの下山で散々悩まされた膝の痛みに関しては、今回は登山・下山を通して全く出なかった。杖はそもそも持参しなかったし、アイシングも不要だった。結局、下山翌日に太もも・すねの筋肉痛が出たのと、足の裏に水ぶくれができただけで済んだ。毎日欠かさず継続した膝トレーニングの効果が出ていると言えるだろう。

次に食料について。今回もウィダーインゼリーとカップヌードルが非常に役立った。持参したウィダー計4個のうち、3個を消費した。これはミネラル補給としても極めて有効だった。また、フリーズドライ食品のカレーヌードルやどん兵衛は素晴らしい効能を発揮した。塩分補給しつつ温まるのは大きい。また、粉末Pocariも1袋持参し、有効に消費した。

●今回の反省

今回26Lザックを持参したのは明らかに失敗だった。背中に当たる部分とザック背面の間に隙間があり、そこにマットと雨具を挟んだことで両手は空いたが、大量の食料をゆぞに、テントやゴミをJinさんに任せてしまったのは心苦しかった。ちなみに筆者が運んだ共用物(自分が喰うための装備は除く)は、コッヘル1〜2個だけだった。次回のテント泊登山の際には、40L以上のザックを準備すべきだろう。

また、今回気になったのはゴミ問題だ。便利さを求めつつ自炊をする以上、どうしてもゴミは発生する。基本的にゴミは持ち帰るしかないが、事後処理のためにも、最低限の分別はしておいた方が良いだろう。

●総括と今後

今回も数多くの反省点が残った。今回の反省点を生かし、改善すべき点を改善し、来るべき再挑戦に備えたい。


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