日付 | 概要 |
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2013.8.30(Fri) | 富士登山 〜御殿場口日帰り〜 |
富士登山の動機
筆者にとって、富士登山は四度目である。2008年には須走口から、2009年には富士宮口から、2012年には吉田口から登頂した。そこで今回は、主要4ルートのうち唯一未経験である御殿場口を選定した。このルートは登山口(五合目)の標高が約1440mと最も低いため、特に初心者からは敬遠されている。このため、6月の世界遺産登録に伴う混雑も軽微であり、自分のペースで快適な登山が楽しめると考えた。
さらに、公共交通機関のみを使用して日帰りという要素を組み込んだ。自家用車やバイクで新五合目に到達し、夜明け前から登り始めて日帰りする人は多いようだ。だが、公共交通機関のみを使用する場合は時間制限がのしかかってくる。御殿場駅と御殿場口新五合目を結ぶバスは、始発に乗っても登山口に8:15着である。終発は登山口18:05発なので、9時間50分以内に戻ってこなくてはならない。なお、これは夏季の登山シーズンに限った話である。他の季節では始発が遅く、終発が早くなるため、さらに時間制限が厳しくなる。
なお、始発バスに乗るには御殿場駅に7:35までに到着する必要がある。これは、自宅からでも始発に乗れば間に合う範囲であり、新幹線を使う必要も無い。また、他の登山口と違って、混雑により始発バスに乗れない可能性はほとんど無いと予測していた。
日帰りできなかった場合の対策は、深く考えていなかった。標準コースタイムは登り7時間30分、下り3時間である。これに日本最高点往復1時間(写真撮影待ち行列含む)を加えると11時間30分。一方、日帰りを成功させるには、9時間50分で戻らなくてはならない。つまり1時間40分、約15%短縮すれば良い。高山病さえ出なければ、このタイムを達成する自信はあった。万一終発バスに乗り遅れた場合は新五合目で野宿すれば良いだろうとしか考えていなかった。事前のリサーチが甘く、新五合目付近の大石茶屋に宿泊できることを把握していなかった。また、タクシーで御殿場駅まで向かうことも(よほどの天候悪化、体調悪化時を除き)考慮していなかった。
富士登山の準備
●日程
今回は単独のため、事前に最適な日程を選択できた。即ち、登山シーズンおよび学生の夏休みがほぼ終了する8月末〜9月初である。本当は31日(土)に登るつもりだった。だが、九州に台風が接近しており、それに伴い前線の活動が活発になるという予報が出ていた。即ち、富士山の山頂付近では暴風雨や雷雨の可能性が高いと判断した。このため、1日早めることとした。●装備・持ち物
昨年の登頂時(吉田口)のものからダウンと折り畳み傘を削った。これは、基本的に昼間の行動となるため、山頂付近の低温にも夏山用フリースと雨具で十分に対応可能と判断したためだ。また、登山口付近で雨に降られたとしても、折り畳み傘の出番は恐らく無いだろう。また、今回もストックを持参しなかった。ここ数回ストックを使ったことは無いためだ。もっとも、御殿場口の登りの砂の深さへの対策として、ストックはあった方が良かったかもしれない。
一方、水は3リットル持つこととした。御殿場口には山小屋が少ないためだ。特に、五合目付近の大石茶屋から七合目の山小屋までの区間(標準コースタイム4時間)では、補給拠点が全く無い。実際には1リットル余った。この1kgの重量が、登りの遅れの一因だったかもしれない。だが、高山病対策や傷口洗浄用も踏まえて、ある程度の余裕を持つことは欠かせない。
そこで、高山病対策として、頭痛薬「バファリン」を持参した。筆者の過去の富士登山では、行動を続けている限り高山病の症状は頭痛だけで済んだ。吐き気や下痢、悪寒といった症状が追加されるのは、山小屋で横になった時だ。そこで、頭痛が出た時点で(目安として七合目)頭痛薬を投与して頭痛を封じ込める。その後体調を見ながら一気に日本最高点まで到達し、即下山すれば、高山病そのものを抑え込めるという見通しを立てていた。この対策が効かなかった場合は、言うまでもなく即下山するしかない。また、他に下山を決断する条件として、「天候が悪化した場合」「ペースが遅すぎる場合」を検討していた。
2013.8.30(Fri)富士登山 〜御殿場口日帰り〜
●登り:予定と実績
場所 | 高度 | 予定 | 実績 | コメント |
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新五合目 | 1440m | 8:20 | 8:15 | |
次郎坊 | 1900m | 8:55 | 9:03 | 休憩1分 |
− | 9:19 | 休憩2分 | ||
六合目小屋 | 2590m | 10:25 | 10:27 | 休憩5分 |
− | 11:28 | 休憩5分 | ||
七合目日ノ出館 | 3030m | 11:05 | 11:50 | 休憩5分 |
わらじ館 | 3050m | − | 12:01 | 休憩5分 |
砂走館 | 3090m | − | 12:09 | 休憩5分 |
赤岩八合館 | 3300m | 11:45 | 12:51 | 休憩24分 |
見晴館 | 3400m | − | 13:34 | 休憩4分 |
御殿場口山頂 | 3720m | 13:35 | 14:42 | 休憩6分 |
日本最高点 | 3776m | 14:00 | 15:12 | 休憩3分 |
※高度はビミョウに違うかも。以下同様
※時刻は腕時計で計測。デジカメのファイル作成時間も参考とした。
※六合目小屋、日ノ出館、見晴館は閉鎖されていた。
御殿場駅から見た富士山 | 御殿場口から見た富士山 |
砂礫の道を、やや速度を落としつつ着実に進む。やがて見えてきた大石茶屋を通過し、次のチェックポイントである次郎坊を目指す。御殿場口は山の東側であるのに加えて、高度が低い割に樹林が少ない。従って、午前中は直射日光を遮る物が無く、日に焼かれ続ける。日焼け止めは必須だ。但し、山頂部分は常に傘雲に覆われていた。
砂礫の道をまったりと | こんな砂地にも花が咲く |
登山開始から9分後、「七合目へ約4時間」の看板を見た。そんなにかかるわけねーよ、3時間で登ってやる! ……と意気込む余裕が、この時点ではまだあった。実際にはバッチリ3時間35分もかかったのだが。
また、登山道と下山道、ブルドーザー道が交わりながら続いているため、うっかり下山道を登っていた! ということもあり得る。確かに下山道は直線コースだし、傾斜も緩そうに見える。このため、短時間で楽に高度を稼げそうに見える。だが、登山道と比較すれば傾斜はきつく、しかも砂礫が深いため進みにくい。実際、下山道を登っていた黒人男性は、かなり苦しそうだった。そして、次に下山道と交わるタイミングでは、彼は遥か後方に遠ざかっていたため、声をかけそびれた。さらに、大砂走りを下山中、こともあろうにこの登りづらい道を六合目付近まで登ってきた女性二人組とすれ違った。これは苦行以外の何物でもないと思う。
左:登山道 右:下山道 | 次郎坊付近の交差点 |
登山道を登るだけでもそれなりに消耗する。下山道ほどではないが、砂礫が深い部分が多く、登りづらい。杖は必須に近いと思う。筆者は杖なしで、しかもそこそこのハイペースで登った結果、後でへばることになった。それでも、序盤は快調に進み、9時過ぎには次郎坊に到着した。と言っても、単に登山道と下山道が交差しているポイントの一つに過ぎない。休憩するような場所でもなかったため、アクエリアスパックと水で補給を済ませた後、すぐに出発した。なお、登山開始からここまでで10人抜いた。後で考えると明らかにオーバーペースだったと思う。
標高2000m! 9:08に通過 | 六合目小屋と勘違いした廃屋 |
最初の誤算は、次郎坊から見える廃屋を六合目小屋と勘違いしたことだった。この廃屋と同じ高さには9:22に到着し、予定を大幅に上回ったと内心ほくそ笑んでいた。ところが、実際に六合目小屋に到着したのはその約1時間後だった。砂礫の深い道は相変わらず歩きづらい。ブルドーザー道との交差地点では特に消耗する。なお、次郎坊から六合目小屋までの区間では6人抜いたが、1人に抜き返された。バスで乗り合わせた軽装の欧米人カップルのうち男性にだ。ちなみに、後でへばった時に女性にも抜き返されることになる。
砂が深く、滑って登り辛い | 山頂は常に雲に覆われていた |
六合目小屋。閉ざされている | 振り返れば雲海が! |
11:04、いつの間にか宝永山(2693m)を見下ろす位置に到達した。それなりのペースで登ってきたらしい。太ももの筋肉に疲労を感じる。その4分後、登山道に杭とロープが登場した。風速も増してきた気がする。この段階では行動中に風に吹かれても心地良いと感じていた。だが、高度を上げるにつれて風速も増した。特に八合目付近では、砂礫の深い道で向かい風を受けた時に大変難儀した。
標高が宝永山を超えた | 杭とロープが登場 |
11:10、六合目到着。標高は2830mとある。新六合目と240mも違う。しばらく後に、宝永山に向かうルートとの分岐があった。これがプリンスルートか。標高の高い富士宮口から出発し、途中から御殿場口に合流して混雑を回避し、帰りは大砂走りを満喫する。登山口と下山口が違うことによる移動の問題は発生するものの、快適な富士登山を追求する、贅沢なルートだ。
宝永山へ向かうルートの手前 | 七合目らしき建物が見えた! |
七合目らしい建物が見え始めたのは、さらにしばらく登ってからのことだった。他の登山口でもそうだが、目標物が見えてからが本当に遠い。既に標高は3000mに達し、酸素も薄くなっている。太ももの筋肉への疲労も予想以上に蓄積している。このため、数歩進んでは立ち止まって呼吸を整えることが増えてきた。何てこった。これではまるでキリマンジャロだ。さらに、高山病の兆候と思われる頭痛も発生した。六合目小屋まではほぼスケジュール通りに登っていたのに、この区間から大きく遅れ始めた。以前抜いた人にもどんどん抜き返された。そして、遅れを自覚した時から、消耗も激しくなるという悪循環にハマっていった。なお、この辺で風が強くなり、体感温度も下がってきたため、夏山用フリースを装備した。
標高3000m! 11:38に通過 | 相変わらず砂が深く、登り辛い |
11:50に七合目(日ノ出館)到着。この山小屋は閉鎖されていたため、さらに上を目指す。既にバテバテであり、至近距離にあるわらじ館、砂走館でも座り込んで休憩を入れる羽目になった。相変わらず、数歩進んでは立ち止まって呼吸を整える状況であり、スケジュールからの遅れは1時間を超えた。
七合目日ノ出館は閉鎖されていた | 八合目らしき建物。これが遠かった |
12:51に赤岩八合館に到着。疲労がピークに達していて、日帰りどころか、これ以上登る気力すら失せる体たらくだった。今回の登りで体力的に一番キツかったのは、七〜八合目だった。体力、気力に加えて、まともな判断力も失せていると自覚したため、赤岩八合館で昼飯! ここで食べた800円のラーメンがうますぎた!! いわゆるシャリバテだったようだ。塩分、水分に加えて、炭水化物を補給できたのが非常に大きかった。ついでに、持参したバファリンを2錠投与し、六合目付近から継続していた微頭痛も封じ込めた。
やっと辿り着いた赤岩八合館 | このラーメンで復活した |
登山道には岩が増える。風も強い | 上に行くほど岩が増える |
また、風も次第に強くなった。耐風姿勢を取るほどではないが、砂礫の深い道では風が止むまで進めない(進む気になれない)こともあった。この風は、雲の中に入るとほぼ止んだ。代わりに、視界がやや悪くなったが。そして、シャリバテ状態を解消したのは非常に大きく、本格的にへばる前に山頂に到着した。
雲の中に入り、視界が利かない | 靄の中に霞む山頂の鳥居 |
山頂まで標準コースタイム7時間30分のところを6時間27分もかけるヘタレっぷりだった。予定では5時間15分で登るつもりだったのに、1時間12分も余分にかかってしまった。この時点で日帰りは難しいと分かっていたので、どうせ泊まりになるなら日本最高点まで行ってしまおうと考えた。
御殿場口山頂に到着 | 浅間大社奥宮は台風接近のため今日から閉鎖 |
登りの区間を終えて冷えてきたため、雨具の上を装備する。眼鏡も頻繁に曇るため、タオルで拭いながら先に進む。山頂付近はガスに覆われていた。視界が約20mしか利かないところもある。人影もまばらだ。旧郵便局付近では道を間違えそうになった。だが、間違えた先がすぐに行き止まりになったため、ほぼロスなく復帰できた。
日本最高点直前のラスボス、馬の背では、砂礫の深い急な登りが続く。あまりにも登り辛いので、1月の雪山講習で教わったキックステップを試してみた。すると、滑ることがほとんど無くなり、ずり落ちることなく登ることができた。もっと早くから試していれば! とはいえ、こういう登り方をし続けるとふくらはぎに余分な力がかかるため、別の意味で消耗したかもしれない。
馬の背も靄の中 | 撮影と称して休憩しつつ、じりじり登る |
10回ほど立ち止まって休憩しつつ、ようやく日本最高点へ。15時12分のことだった。運良く先着していた人がいたため、写真を撮ってもらった。御殿場口から7時間で日本最高点というのは速いですねーと評されたが、自分では決して速いとは思えず。なお、5年前は展望台らしい場所に登ることができた。ところが今回は、「危険」という表示があり、しかもハシゴが封鎖されていたため、諦めざるを得なかった。
5年ぶりの日本最高点 | 二等三角点 |
場所 | 高度 | 予定 | 実績 | コメント |
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日本最高点発 | 3776m | 14:10 | 15:15 | |
御殿場口山頂 | 3720m | 14:25 | 15:27 | 通過 |
赤岩八合館 | 3300m | 14:50 | 16:12 | 休憩3分 |
七合目日ノ出館 | 3030m | 15:10 | 16:36 | 休憩4分 |
次郎坊 | 1900m | 16:45 | 17:20 | 通過 |
新五合目 | 1440m | 18:00 | 17:50 |
※高度はビミョウに違うかも。以下同様
※時刻は腕時計で計測。デジカメのファイル作成時間も参考とした。
お鉢巡りは諦め。白山岳も諦め | 砂礫の影響で滑りやすい |
七合目までは、登山道と一緒の道を下山していく。道は濡れていなかったが、砂礫の影響で確かに滑りやすい。膝への負担を最小限に抑えつつ、歩幅をなるべく小さくして下っていく。下山は心肺機能への負担こそ少ないが、足への衝撃を小さくするために制動をかける必要がある。このためすぐに暑くなり、雨具の上はしばらく行ったところで装備解除した。その後も滑らないように注意を払ったが、それでも八合目までに4回も転倒した。すべて尻餅で済んだため、傷を負うことは無かったが。
赤岩八合館はなかなか見えなかった。計画では山頂から25分で到達することになっていたはずなのに、とんでもない見積ミスだ。30分も下山すると、ようやく傘雲から脱出することができた。途中で互いに写真を撮影している4人パーティがいたため、「写真撮りましょうか」と声をかけて、ついでに筆者も撮ってもらった。雄大な雲海をバックに、なかなか良い場所! ちなみにこの4人組は、六合目小屋までの登りで追い抜いていたようだ。赤岩八合館に宿泊するとのことだったため、そこまでは似たようなペースで下山した。彼らは若者らしく、下山のスピード自体は筆者よりも数段速い。だが、途中で写真撮影や休憩をしていたため、ほとんど休憩せずに一定のペースで降りる筆者と似たようなペースになった。
八合目付近。雲海をバックに | 雄大な雲海。そして日没も近い |
赤岩八合館で小休憩。居合わせた親子と少し会話した。今日はここまで登ってきて、ここで宿泊予定とのこと。昨年も挑戦したが、お子さんが高山病にやられ、山頂到達を諦めたらしい。今年はしっかり休養し、是非ともリベンジできるよう頑張って下さいと言って別れた。
七〜八合目には短い間隔で山小屋があるため、気分的に楽なところだ。登りで苦労したのは一体何だったのかと思えるほどに、軽快に下山していく。なお、一番下の日ノ出館は閉鎖されているし、新五合目付近の大石茶屋で宿泊できることは把握していなかった。このため、七合四勺にあるわらじ館を過ぎた時点で、新五合目で野宿する最終決断を下した。高度1440mならば、よほどの悪天候に祟られない限り凍死することも無いだろう。また、ここで優先したのは、寝心地よりも高山病対策だ。つまり、多少寝心地が悪かろうが、五合目まで下ってしまい、高山病の症状(特に頭痛)を抑え込んだ方が楽になると考えた。
七合目から5分ほど下ると、いよいよ大砂走りの始まりだ。とはいえ、最初のうちは岩がゴロゴロしていて、走ると危険すぎる。慌てて止まろうとしたが、気付いた時にはスピードが出過ぎており、路肩に左手をついたところ派手に一回転してすっ転ぶ羽目に。同時に、左の手のひらに切り傷を負い、全身砂まみれになった。すぐにペットボトルの水で傷口を洗浄したが、しばらくの間は出血が止まらなかった。面倒なので放置して砂走りを続行したら、手のひらに血糊が付着し、それが中途半端に乾いて固まった状態になった。
大砂走り。最初のうちは岩ゴロゴロ | しばらく進むと岩が消え、走れるようになる |
しばらく進むと、岩が少なくなってきた。そこで、膝が耐えられる限りの速度で走っていく。一歩につき3メートルというのは筆者の膝では困難だが、2メートルなら充分に可能だ。富士宮口への分岐を過ぎ、宝永山を右手に見ながらガンガン高度を下げていく。速度が出過ぎると転倒した時のダメージが大きくなるため、適当なところで制動をかけながら進む。途中で雲の中に入り、先が見えなくなった。さらに進むと小雨も降ってきた。お蔭で、砂埃はそんなに発生しなくて助かったものの、先が見えない状況での砂走りはなかなかキツかった。スパッツ類を準備していなかったため、靴の中には一歩ごとに確実に砂が蓄積されていった。だが、基本的に砂地だったため、さほど痛みを感じることもなく砂走りを続けた。また、雨雲をある程度抜けた時点で再び暑くなってきたため、夏山用フリースも装備解除した。
岩は無いが砂利はそこそこある | あり得ない速度で標高2000mまで下ってきた |
そして17:18、何と高度2000mの看板が見えた。あり得ねえ! 高度差1030mを38分で下っただと?! そして!
新五合目らしい建物が見えた! | 振り返れば山頂は遥か彼方に |
一方、そろそろ靴の中に蓄積された砂利が足の裏に当たりまくって痛み始めていた。そこで、靴を脱いで砂利をかき出す作業を時々実行しつつ下山する余裕も出てきた。この作業を実行している間に一人の男性に抜かれた。大砂走りの区間で出会ったのは、この男性の他には、登りの女性二人組だけだった。もはや夕方であり、日没も迫っていたためだろう。
17:35頃、「駐車場まであと800m」の看板が見えた。800mを30分なら余裕だ。以後は靴に砂が入らないように、やや減速しながら進む。なお、付近にはブルドーザー道との最後の分岐があった。ここで道を間違えると新五合目の駐車場に行けないらしい。暗いと見誤るかもしれない。何というトラップだ。今回は日没が18:15頃だったため、何とか間に合ったが。そして、最終バス出発の15分前というギリギリのタイミングで、ついに新五合目に戻ってきた。
下りの大砂走りのスピードは筆者の予想を遥かに上回った。七合目から新五合目まで1時間10分、日本最高点からだと2時間35分で下山完了!
左:ブル道。右:下山道 | 下山完了! |
高山病対策はほぼ完璧に機能した。八合目の昼食の際に投与したバファリンのお蔭で、最も辛い症状である頭痛をほぼ完全に封じ込めた。さらに、その後素早く日本最高点に到達して即下山したことで、他の症状は全く出なかった。むしろ、下山後に頭痛が出た。こちらは熱中症の一種だろうか。
膝の痛みに関しては、今回もほとんど出なかった。登りでも下りでも、違和感を覚えることすら無かった。毎日の膝トレーニングに加えて、右膝に着用しているサポーターの効果が出ていると言えるだろう。
装備・持ち物は特に問題なし。大砂走りではスパッツがほぼ必須という情報を事前に得ていたが、実際には無くても何とかなった。多少痛い思いはしたし、次郎坊から先では時々立ち止まって靴の中の砂利をかき出す必要はあったが。また、日焼け止めが期待通りの効果を発揮し、露出していた部分の日焼けはほぼ完璧に抑え込んだ。
登山計画も無謀に近いものがあった。今回はたまたま大砂走りで予測を遥かに上回る速度が出たため、辛うじて日帰りが可能となった。だが、何らかのアクシデントが発生した場合は、最終バスに間に合わない可能性もあった。野宿はあくまでも最終手段であって、そうならないように確実に日帰りする計画を事前に立案するべきだ。
下山中に計6回転倒したのもいただけない。内訳は八合目から上で4回、大砂走りで2回だ。八合目から上では速度を抑えていたためノーダメージで済んだ。だが、これが奥穂高岳〜西穂独標の区間だったら、滑落に直結することもあり得る。転倒を予測して未然に防ぐような歩き方を、継続的に会得していく必要があるだろう。一方、大砂走りでは勢いがついていたこともあり、手をついた際に砂利で切り傷を負った。傾斜のついた砂地という特性上、ある程度の速度はどうしても出てしまう。当日の対策として、なるべく前かがみにならず、後ろにそっくり返る体勢で走っていた。これをより徹底すれば、前でなく後ろに転倒し、ザックで衝撃を和らげることも可能になるのではないか。結局のところ、大砂走りをさらに何度か経験し、転倒を繰り返しながら体で覚えるしか無さそうだが。
今回の登山というか下山で最もダメージを受けたのは左の手のひらだ。次が右の手のひら。大砂走りではせめて軍手を装備すべきだったか。なお、下山時の足への衝撃は想像よりもずっと軽く、下山時間も短かったため、膝や足の親指の爪へのダメージはほとんど無かった。
加えて、今後は日帰り登山できる範囲を広げていきたい。日本最高峰、高低差2300mで成功したのだから、関東圏内だけでも日帰りの対象となる山はまだまだあると思う。山小屋一泊を前提とした山行とは一線を画す計画が必要となり、やり込み要素も出てくるはずだ。そして、将来は剱岳早月尾根の日帰りにも是非挑戦してみたい。
スピードにさらに磨きをかければ、将来のより困難な登山(主にヨーロッパアルプスを想定)に向けて、大きな力となるだろう。
富士登山の感想
●今回の収穫
御殿場口からの日帰りで日本最高点まで到達した。特に登りは苦しい道のりだったが、今までの富士登山に無い達成感があった。●今回の反省
まずはシャリバテ。初心者丸出しのミスであり、恥ずかしい限りだ。今回は3:45に起床して少量の朝食(パン6枚切り1枚、豆乳、ミニトマト2個、キャベツ少々、バナナ1/2本、煮干し、チキンナゲット1個)を摂取した後は、ろくに食事をしていない。八合目到達までは、アクエリアスパックとウィダー、ブドウ糖飴をテキトウに投与しただけだった。これではガス欠になるのも当たり前だ。せめてコンビニおにぎりを持参し、六合目小屋あたりで補給しておけば、シャリバテ状態を防ぐことができたと思う。その結果、山頂まで5時間15分というのは難しかったとしても、6時間を切ることは充分に可能だったと思う。●総括と今後
これで、富士山の主要な登山ルートをすべて登った。今後は、主要ルート以外も登ってみたい。少し調べた限りでは、「精進口」「村山口」「新大宮口」というキーワードが得られた。関連して、海抜0mからの富士登山にも是非挑戦してみたい。
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